適材適所

日本には適材適所という考え方があります。

悲しい顔の人間であれば祝いの場には不適切かも知れませんが葬式にはぴったりです。

足の速い子はリレーに出れば良いですし、忍耐強い子はマラソンなど、その子供の個性を伸ばせば、誰もが成長を体感出来て、成功と言う、その子供の個性に合ったゴールへ到達する事が可能です。

ネガティブも言葉を変えれば慎重です。

多感で集中力が無くてもそれは好奇心がいっぱいなだけ。

優柔不断は優しい証拠です。

頑固は自分の信念を持っている証拠。

世の中に不必要な人は存在しません。この世に生を受けた以上、全ての魂には意味が有るのです。

そして人生と言う学びの旅をしているのです。

誰もがそのままで私は良いと思っています。変わる必要など無いのです。

訳のわからない成功法則を習うよりも、自身の強みを知るべきです。自身の才能を信じるべきなのです。

悪いところを改善するよりも、良い所を伸ばせば良いだけです。

良いところで悪い所をカバーする方法は苦しみより楽しみの方が多いのです。

一人では生きていけないほど、鈍臭い人は多いと思います。 常に多くの仲間や家族、お客様に支えられてわたしが存在出来ているのです。

私でも活躍できる場所が有りました。きっとあなたにもその様な場所が存在するはずです。

あなたの人生にも意味があるはずなのです。

教えるよりは本人に気付かせる方針です。 だから私の教え子の多くは「ああしろ、こうしろ」と言う指示的なものをわたしには、ほとんど言われた事がなく育ったと答えます。

時に怒られた事のある子もいるでしょう。しかしわたしに何かを言われる時と言うのは社会的にどうなのかや、人に迷惑をかける様な行為や思想のみです。

感情で怒る様な事は基本はありません。わたしも人間ですからゼロではありませんがw

怒るのではなく、愛情で叱るこそが教育であると信じているからです。

時にはティーチングと言う教える事も必要だと考えます。しかし、それは自己啓発や能力開発の引き寄せの法則などの抽象的なものであってはいけません。

なぜならば抽象的な物は人によって捉え方も生かし方も変わります。その様な物が再現性がある訳が有りません。

感覚的な人が人に教えられないのは、感覚は人に教えられない、教えられるのは理論だけだからなのです。

だから野球業界にも長嶋監督と故野村監督。その個性も教え方も違います。

野村監督には遠く及びませんがわたしは野村監督型を愛するタイプなのです。

教育カリキュラムが段階的に用意されています。 しかし 私は教えるより気付かせる。

そしてやる気にさせる、 やり易くする。 その人をよく知り、 その人の個性を伸ばす。 常に無色で在りたいのです。